愛を蒔く

多くの人が神の愛を必要としているが、ただ愛を求める人もいる。このことを理解しよう。

イエスは、神の愛を宣べ伝えよと明確に言われたわけではないが、間接的には、神の愛である律法や戒めである福音を宣べ伝えよと言われたからだ。第1ヨハネ5:3。

しかし、私たちが神の愛、神の戒めについて語るとき、特に神の愛、神の掟に従わない場合の結果を示すと、抵抗にあう。

愛を蒔くべきだという意見さえある。そして、この示唆された愛は、楽しい、お世辞の言葉、良いことや祝福の約束を聞きたがる耳を喜ばせるものである。

「そして、このことは使徒パウロを通して聖霊によって予言されていたのですよ。「彼らは、かゆい耳を持ち、自分の欲望のままに教師たちを自分たちのために集め、真理から耳をそむけて、たわごとに帰ろうとする時が来るのである。2テモテ4:3と4。

真理から耳をそらしている人々は、まさに神の民、選ばれた民とみなされる人々である。真理とは、神の律法の17の名前のうちの一つである。詩篇119篇160節前半と142篇後半。

そして、真理へのコミットメントを持たない人々は、「いいね!」やフォローと引き換えに、不心得者の耳や感覚を甘くするようなものを蒔こうとする。

悲しいことだが、真実だ。しかし、彼らは失望し、失うだろう。

だから、神の律法や戒めへの忠実な従順さに沿わない派手なものや約束に騙されてはいけない。

グアルーリョス=SP、16/11/2024

オリ・プレステス

宣教師

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